第3回 毎日エクステンション・プログラム
「北京大学・サマーキャンパス2010」 <報告・5日目>

5日目 「殷墟」&「曹操高陵」視察

8月22日、曇り時々雨の涼しい朝。午前8時半、前日の強行日程にも関わらず、全員元気にチェックアウトを済ませ、先ず、安陽市内の北西部に位置する「中国社会科学院考古研究所安陽工作隊」へ赴きました。ここでは責任者の方の暖かい歓迎を受け、早速、文物の保管所へ案内されました。そこには殷墟で発掘された膨大な量の土器や文物が棚や床に並べられており、営々と修復作業が続けられていました。興味尽きない文物の中でも特に、精巧な青銅器の鋳型が部分ごとに幾つにも分れて発掘されたとの説明に、一行は青銅器に対する新たな鑑賞の仕方を学ぶことができました。


北京大学・サマーキャンパス2010


午前11時半過ぎ、隣接する「殷墟」へと向かいました。2006年に世界遺産に登録されたことから、大勢の観光客が押し寄せているものと思っていましたが、この日は意外と少なく、広い敷地に点在する殷墟博物館を始め、甲骨文字の碑、車馬坑、発掘現場の墓跡、甲骨文字の解説板、「婦好墓」を順次、ゆっくり落ち着いて見学することができました。

北京大学・サマーキャンパス2010殷墟と言えば膨大な量の青銅器とともに、16万枚以上とも言われる甲骨片の存在が有名ですが、博物館で見た幾重にも重なった甲骨片の発掘現場の再現シーンや、一つの甲骨片に何回も赤く熱した金属棒を小さな穴に突き刺し、その時のひび割れ具合で何回も占っていたとの説明に、一つの甲骨片に一回の占いと思い込んでいた一行にとっては新鮮な驚きでした。


北京大学・サマーキャンパス2010


殷墟博物館を見学した後、昨晩と同じレストラン「一千鮮」での昼食となりました。ここでの昼食は早めに済ませ、午後2時過ぎ、いよいよ待望の「曹操高陵」へと向かいました。安陽市北西郊外の安陽県西高穴村へは、約55キロメートル、約1時間の旅です。
途中、鉄道の高架下を潜ろうとしましたが、昨晩降った雨の影響で雨水が溜まったままで、数台の車が立ち往生していました。運転手が稲畑先生の杖を借り、深さを計ると何と優に1メートルはありそうで、ここでも万事休す。
北の邯鄲市に戻る形で大回りしながら、やがてバスは小さな曹操高陵への入口を示す看板に従って脇道を西へと向かいました。空はすっかり晴れ上がり、辺り一帯は長閑なトウモロコシ畑が延々と広がっており、道路には時折、羊が群がる中原地区の典型的な農村風景でした。


北京大学・サマーキャンパス2010

午後3時半、やっとの思いで「曹操高陵」の立て看板が見える広場に到着すると、既に何人かの見物人が入口らしき扉から前方の大きなやぐら風の建物を覗き込んでいました。2009年12月に、曹操の墓発見のビッグ・ニュースが流れて以降、中国では真贋論争が起こり、未だに話題沸騰中で大勢の観光客が押し掛けているとのことでした。


事前情報では、墓陵への立ち入りは厳禁され、普段は武装警官が警戒しているとのことでしたが、今回は、徐先生の事前要請で、一行には特別参観が許可され、念願の墓陵への立ち入りが実現しました。一行はお揃いの北京大学のロゴ入りティーシャツ姿で、胸を張っての堂々の入門でした。偶然に現地で出くわした天理大学の山本忠尚教授一行も加わり、墓内での撮影禁止を言い渡されつつ、心をときめかしながら、墓内へと降りて行きました。


ひんやりとした墓内は意外と狭く、事前のテレビ放映等で、見慣れたような発掘現場の風景でしたが、三国志の世界を想像しながらの墓内の空気は重々しく、一行は大きな感動と満足感に包まれました。我々日本人が見学を終えた後、墓陵入口付近にいた中国の人達にも特別参観が許可された模様で、辺りは幸運に恵まれ、大喜びの様子でした。


「曹操高陵」の見学を終えた後、一行は次の訪問地である鄭州市に向かいました。約245キロメートル、約2時間半の旅です。

今回のツアーの最大の目玉とも言える曹操高陵の墓内を見学できた喜びで、一行は旅の疲れも忘れ、バス内は曹操の話題で盛り上がりました。バスは帰路、日曜の自由市場で賑わう安陽市郊外を通り抜け、「京珠高速」を南の鄭州市へと向かいました。途中の高速道路は、上下線ともに大規模な修復工事が延々と続いており、大渋滞でした。その高速道路と平行し、まるで競争するかのように、高速鉄道の高架路線工事が延々と続いていました。

【豆知識】

中国の高速鉄道の総営業距離は現在、既にすでに6920kmに達し、建設中の高速鉄道の総延長距離が1万km以上であることから、中国の高速鉄道は今や営業距離が世界最長、営業速度が世界最速、建設規模が世界最大だと中国の鉄道当局者は誇っています。



バスはやがて黄河大橋に差し掛かりました。今夏の大雨の影響で、黄土色の濁流が渦巻いて流れていましたが、川幅は意外と狭く、やや興ざめでした。中国では、黄河を慈愛に満ちた「母なる存在」にたとえる反面、一匹の「暴れ巨龍」にもたとえられますが、今回の黄河は予想に反して、前者に近い様相でした。


高速道路を下り、鄭州市の市街地に向かう途中で、現地ガイドの洛陽龍門石窟国際旅行社の総経理・趙虎龍さんが乗り込んで来ました。弁舌鮮やかな彼とは、1年ぶりの再会でした。1年前に見た鄭州市東部の新市街地区には、更に多くの高層ビルや大型のショッピングセンターが立ち並び、色とりどりのイルミネーションに飾られた立体交差点も新たに完成していました。一般道路も拡張・整備され、その道路いっぱいに乗用車や路線バスや電気自転車が夕日を浴びながら、延々と連なっていました。2013年完成予定の地下鉄工事が急がれる鄭州市の渋滞は、今や日常茶飯事とのことでした。


午後7時、鄭州市内のレストラン「蕭記三鮮フイ面美食城」に到着しました。この日の夕食は徐先生の知人・李国強氏の接待でした。白酒での乾杯の後、これまでとは一味違った、さっぱりとした河南料理に一行は感激の様子でした。夕食時、徐先生からは翌日の日程を変更し、洛陽まで足を延ばして「龍門石窟」「二里頭遺跡」を見学しないかとの提案がありました。「二里頭遺跡」ついては、特別講義で「夏王朝」の存在について学んだところでもあり、一行は大賛成でした。和やかな夕食の後、市街地の中心でひと際目立つ五つ星ホテル「興亜建国飯店」にチェックイン。今回のツアーでは初の2連泊とあって、一行は広々したロビーの豪華なホテルの雰囲気には満足気でした。


     
 

【豆知識】

鄭州市は河南省の省都で、人口は約750万人(うち市街地人口は約400万人)。殷の時代より3,500年の歴史をもつ「国家歴史文化名城」で、古代中国の舞台・中原のまさに中心地でした。商王朝の都邑があって、当時、青銅精練技術や陶器生産技術が相当に発達していました。紀元前11世紀の西周時代、周王は弟の管叔鮮をこの地に封じ、管国と言いました。春秋時代には鄭の大夫・子産の封地となりました。隋代になってこの地に鄭州が設置されました。黄河の中流域に位置する鄭州は、歴史上たびたび黄河の水害を受けたため、経済の発展は緩慢でしたが、20世紀始めに隴海線と京広線が建設され、南北大動脈の交差点となったことから、経済的な地位がようやく上昇し始め、現在に至っています。

 

 

 


 「北京大学・サマーキャンパス2010」 報告

報告 1日目 「開講式」&「歓迎会」

報告 2日目 「特別講義」&「燕下都遺跡」 視察

報告 3日目 「定窯遺跡」&「北岳廟」 視察

報告 4日目 「響堂山石窟」「磁州窯遺跡」&「」 視察

報告 5日目 「殷墟」&「曹操高陵」 視察

報告 6日目 「龍門石窟」&「二里頭遺跡」 視察

報告 7日目 「河南博物院」見学・「鄭州商城」 視察 & 「修了式」兼「歓送会」

報告 8日目 自由行動


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 重点遺跡の視察レポート・ダウンロード

「北京大学サマーキャンパス2010」にて訪問した重点遺跡の視察報告、および補足の解説をまとめたレポート(PDFファイル)を作成いたしました。下記リンクよりダウンロードできます。

pdf 「北京大学・サマーキャンパス2010」重点遺跡レポート (PDF/1.77MB)


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