第4回 毎日エクステンション・プログラム 代替企画
『ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅』 <報告4日目>

4日目 ブッダガヤ見学    3/19(土)

『ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅』 <報告4日目>


この日も快晴。当初は午前9時の出発予定でしたが、ガイドのシンさんの判断で早朝5時30分に変更され、「霊鷲山」へと向かいました。昨日見学した「ビンザサーラ王の牢獄跡」を通過し、麓に辿りつくと、辺りは土産物屋が立ち並んでいましたが、まだ人もまばらで店は閉まっており、錆びついたようなロープウェイもまだ開店前でした。日の出前の爽やかな空気を吸いながら、一行は参道を登りはじめましたが、暫くすると猿の群れが現れ、更に登っていくと一回り大きいオナガザルが数匹、人目も警戒せずに脇道の石垣の上に堂々と座っており、空には燕やカラス等の鳥類が餌を求めて騒がしく飛び交っていました。釈尊達もその昔、このような動物の姿を目にしたに違いないと勝手に思いながら進みました。参道を登り始めて暫くすると、ラジギールの街を取り囲む山々の一角が赤く染まり始め、午前6時5分、見事な日の出が輝き始めました。この日の出を一行に見せるための早起きだったようです。インドで見る太陽は、日の出も夕日も真っ赤で大きな丸い輪郭がはっきり見えました。

聖山「霊鷲山」は、釈尊が無量寿経や法華経を説いたとされる山として知られており、山の形が、空に斜めに突き出すようになっています。頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの首から上の部分によく似た形をしていることから、名づけられたと言われており、又は山上に霊鷲が多いためとの説もあります。長らくの間、場所も忘れられていましたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定しました。数年後のインド考古局第3代目の長官ジョーン・マーシャルの調査によって国際的に承認されました。

山頂近くには洞穴が二箇所あり、釈尊の弟子である阿難がここに籠もって瞑想していたと言われています。山頂には畳30帖ほどの平地があり、周りにレンガ造りの土台だけが残る祠堂跡がありました。釈尊は晩年、好んでここに逗留し、法華経を始め、無量寿経、観無量寿経等についてしばしば説教をされたと言われています。チベット人と思われる若者連れが靴を脱いで深々と参拝した後、しばし瞑想していました。


『ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅』 <報告3日目>


次に、参道途中から分れ、ロープウェイの終点となっている「多宝山」(ラトナギリ)へと向かいました。急階段に息も絶え絶えながらも何とか頂上まで辿りつくことができました。頂上には日本山建立の真っ白い「多宝塔」が朝日に輝いていました。眼下には「霊鷲山」が見下ろせ、山々の景色は雄大で、涼しい風が麓から吹き上げて、気分爽快でした。
ホテルに戻っての朝食を済ませた後、午前8時半、渋滞に備えて早めにチェックアウトし、ラジギールから南西約80キロメートルの「ブッダガヤ」へと向かいました。途中、ラジギール郊外の峠付近に大きなヒンズー教の聖地があり、バスや乗用車が押し寄せて大勢の参拝客で賑わっていました。峠を越えると渋滞も緩和され、快晴下の快適なドライブとなりました。地平線の彼方まで広がる大地には小高い岩の丘が点在しており、遠くで小麦刈りをする農民達や牛や山羊を放牧する少年達の姿が見受けられ、30数年前と変わらない懐かしい農村風景が拡がっていました。



『ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅』 <報告3日目>


午前10時半過ぎ、予定よりも早くブッダガヤの干し上がった「尼蓮禅河」の東岸に位置する「スジャータ村」に到着しました。悟りを求め、カピラ城を出たゴーダマ・シッダルタ(後の釈尊)は、ブッダガヤ郊外の「前正覚山」で5年間に及ぶ苦行を重ねましたが、“正覚”に達せず苦行を捨て、スジャータという乙女から乳粥の供養を受け、体力を回復されて尼蓮禅河を渡り、菩提樹の木の下での7日間の瞑想の結果、“成道”の境地に達せられたと言い伝えられています。現在、スジャータが住んでいたという素朴な農村には、7〜8世紀の煉瓦造りの大きなストゥーパが修復・再現されており、人々で賑わっていました。そのストゥーパから東の彼方には、前正覚山の姿が見えていました。

正午前、ブッダガヤ市内にある「ホテル・スジャータ」にチェックインし、昼食となりました。ここのビールはバドワイザーで、マトンカリーを味わいました。日本人観光客の利用が多く、土産物コーナーで見つけた『仏足跡』の拓本を眺めていると、日本語の達者な従業員がお買い得品だと盛んに営業、京都の店でも売っているとのことでした。
午後2時、小休憩の後、近くの「考古学博物館」に向かいました。大小様々な仏像が展示してありましたが、ほとんどが頭部や手足の一部が破壊されていました。撮影禁止のため、カタログを探しましたが、残念ながら簡単なモノクロ冊子しかありませんでした。

次いで、日本の仏教諸宗派が共同で建立したという「日本寺」、まだ真新しい日本の一宗派が建立した「大仏」、隣接する立派なゲルー派のチベット寺院を順次、見学しました。この他、一帯にはタイ、ブータン、スリランカ、中国等の仏教各国が競って立派な仏教寺院を建立しており、まるでブッダガヤ全体が仏教寺院のパビリオンのようでした。

午後4時過ぎ、釈尊が悟りを開いた仏教遺跡でも最高の聖地と言われる「マハーボディ寺院」に向かいました。世界遺産に登録されていることもあって、寺院ゲート前は門前市の土産物屋や様々な店が繋がり、大勢の人々でごった返す中、物売りがしつこく付きまとってきました。ゲートからは靴を脱いで境内に進むと、高さ52メートルの大塔(大菩提寺)が夕日を背に聳えており、大塔内部の黄金の仏像に向かって参拝後、裏側に回ると、釈尊成道の座“金剛宝座”と菩提樹の大木があり、熱心な各国の参拝者が連座して瞑想していました。また、大塔の横側には蓮華のレリーフを表現した19個の教行石があり、悟りの境地に達した釈尊がその境地を人々にどう伝えるか、沈思往復された足跡に蓮華が開いたという言い伝えがあります。大塔周辺の木陰では、チベット僧やアジア系の僧に混じって、欧米系の僧も熱心に瞑想していました。隣接する大きな沐浴池には、大きなナマズが参拝客から投げ入れられる餌を求めて群がっていました。



『ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅』 <報告2日目>



一行はホテルに戻り、日本人観光客用に造られた小さな銭湯を利用することにしました。日本人観光客の一員が先客で入浴していましたが、久しぶりの熱い湯につかり、互いに日本人にとっての銭湯の有難さを語り合いました。午後7時、その日本人観光客団体と一緒での夕食となりました。ここではバドワイザーとは別に、バレンタインの水割りで乾杯、バイキングでのインド料理を味わいました。翌日はヒンドゥー教の春祭り“ホーリー祭”で、春の訪れを祝い、誰彼なく色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝い、朝から酔っ払いも多くケンカも絶えないとのことで、当初予定よりも大幅に早い午前4時に出発することになりました。各自、早めに部屋に戻り、NHKワールドニュースで深刻さ増す東北大震災の被害状況を確認した後、早々に就寝しました。


 「ブッダルートを巡る・インド仏跡視察の旅」 報告

報告 1日目 デリー到着

報告 2日目 クムラハ―ルとヴァイシャルの見学

報告 3日目 ナーランダ僧院跡とラジギールの見学

報告 4日目 ブッダガヤ見学

報告 5日目 サルナートとベレナス見学

報告 6日目 ベレナス見学

報告 7日目・8日目 デリー市内観光と帰国


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